祖母を見送った日

澪音

十月に入って、朝晩の空気がすっかり冷たくなりました。この季節になると、毎年、祖母を見送った日のことを思い出します。

私は独身で、一人暮らしです。朝は六時に起きて、白湯を飲んで、机に向かいます。誰にも合わせない、静かな暮らしです。この暮らしの根っこに、祖母がいます。私を育てたのは、実質、祖母一人。

祖母は厳しい人でした。そう、厳しい人だったんですよね。甘い言葉で人を慰めることはありません。言うべきことを、先に言う人でした。

最後にまとまって話したのは、病室でした。点滴の落ちる音だけがする部屋で、ベッドの祖母は、私の顔を見るなり言いました。

「あんた、まだ迷ってるんでしょ。」

図星でした。当時の私は、会社員として働きながら、視えてしまう自分をどう扱えばいいのか、決めかねていたからです。何も言えずにいると、祖母は天井を見たまま続けました。

「結果だけ言って終わりにするのは、いちばん楽で、いちばん不親切。理由まで渡せないなら、やめなさい。」

励ましではありません。宿題でした。数日後の明け方、祖母は静かに息を引き取りました。

葬儀の日、私は泣きませんでした。多くの人は、人前で泣くことで気持ちに区切りをつけるのだと思います。私の場合は、逆でした。

幼い頃から、人の感情が勝手に流れ込んでくる体質です。人前で泣くと、周りの悲しみまで一緒に流れ込んできて、どれが自分の涙なのか分からなくなる。だから、人前で泣くのは今でも苦手です。受付の手伝い、親戚への挨拶、会食の段取り。コールセンターで身につけた段取り力が、こういう時だけ妙によく働きました。悲しくなかったわけではありません。ただ、泣く場所を持っていなかっただけです。

葬儀が終わると、生活が変わりました。毎週日曜の夜に鳴っていた電話が、鳴らなくなりました。「ちゃんと食べてるの」の一言が、もう届きません。部屋の静けさは、一人暮らしの静けさとは別物でした。

三週間ほどたった夜のことです。スーパーで、祖母がいつも買っていた漬物を、何も考えずにカゴに入れていました。レジの前で気づいて、手が止まりました。

帰宅して、玄関に座り込みました。そこから先は、思いっきり泣きました。声が出るまま、時間も見ずに、気がすむまで。人前では泣けなくても、ひとりなら泣ける。それを、このとき初めて知りました。

翌朝、身体が軽くなっていました。涙には浄化の働きがあると言われますが、私の実感は少し違います。空っぽになった分だけ、気力を補充できた感覚でした。

病室の言葉は、今も私の仕事の芯にあります。結果だけを投げない。良いことも、そうでないことも、理由と一緒に伝える。

恋がうまくいかなかった夜も、祖母は「で、あんたはどうしたいの」としか聞きませんでした。あの頃は、少し腹も立てました。今は分かります。慰めるより先に、私が自分で立つのを待っていたのだと。

祖母はもういません。それでも、絆が切れたとは思っていません。私は時々、誰もいない台所に向かって「今日も視ましたよ」と言ってみます。返事はありません。それでいいんです。

もし今、泣けずにいる方がいたら、人前でなくて構いません。ひとりの部屋で、思いっきり泣いてみてください。

迷いは、まだ少しあります。それでも、足元はちゃんと片づいています。今日も、順番にいきましょう。

この記事を書いた人

澪音

霊視で鑑定しています。 「見ようとしなくても、見えてしまう」この力は祖母から受け継ぎました。以前はコールセンターで管理職をしていて、たくさんの人の声に向き合ってきました。 ブログでは占いのことや、日々の暮らしで感じたことを綴っています。気軽に読んでもらえたら嬉しいです。