子供の頃の祖母の部屋を思い出して。湯呑みひとつぶん自分を許す夜

澪音

日曜の夜は、予定を入れません。湯を沸かして、厚手の湯呑みにほうじ茶を注ぎます。独り身の部屋は静かで、その静けさが、いまの私の休息です。

子供の頃の私は、休むのが下手な子でした。人の感情が、勝手に流れ込んできたからです。誰かの辛さも喜びも、自分の感覚と区別がつきません。思い切りはしゃいだ記憶は、ほとんどありません。

幼稚園の頃、友達の家の玄関先で、友達のお母さんが近所の人と立ち話をしていました。笑顔でした。けれど、その下に、はっきりとした苛立ちが視えました。隣の友達も、他の大人も、誰も気づいていません。

家に帰って、母に話しました。「あのおばちゃん、本当は怒ってたよ」母は困った顔をして、「そんなこと言うもんじゃない」とだけ言いました。視えているものと、口に出していい空気は、いつも一致しません。

私は、話せる場所を探しました。行き着いたのは、夕方の祖母の部屋です。西日の差す畳の部屋で、祖母は誰もいない窓際に向かって、ぼそぼそと話しかけていました。内容はわかりません。けれど「そこに誰かがいる」ことは、子供心にわかっていました。

同じことを打ち明けると、祖母は振り向きもせずに言いました。「血筋なんだから、視えて当然でしょ」湯呑みを置く音がして、続きました。「誰にでも言えば、わかってもらえると思ってるんでしょ?」肯定と、釘刺し。祖母はいつも、その両方を同時にくれる人でした。慰めは、ありません。けれど、視えることを一人で抱えていい理由だけは、あの部屋でもらいました。

私が疲れて黙り込んでいると、祖母はこうも言いました。「また人の気持ちまで背負って。甘え方がわからないなら、まず座りなさい。お茶くらい、黙って飲めるでしょ」優しくはありません。けれど、頼ることを知らなかった子供が肩の力を抜くことを覚えたのは、あの一言からでした。

いまも、疲れた夜は湯呑みを両手で包みます。畳の匂いを連れてくる、懐かしい重さです。湯呑みひとつぶんの休息を、自分に許す。それが、いまの私の頼り方です。

今夜、懐かしいと思えるものを一つ、手に取ってみてください。五分だけ、何もしない時間を、ご自分に許してあげてくださいね🍵

この記事を書いた人

澪音

霊視で鑑定しています。 「見ようとしなくても、見えてしまう」この力は祖母から受け継ぎました。以前はコールセンターで管理職をしていて、たくさんの人の声に向き合ってきました。 ブログでは占いのことや、日々の暮らしで感じたことを綴っています。気軽に読んでもらえたら嬉しいです。