祖母は、霊視をする人でした。うちは、そういう家系です。
幼い頃の私には、人の感情が勝手に流れ込んでくる感覚がありました。誰かの辛さも、喜びも、自分のものと区別がつかない。思い切りはしゃいだ記憶は、ほとんどありません。
私を育てたのは、実質、祖母一人。母は早くに家を出て、父もほとんど家にいませんでした。多くの人は、家族にあたたかい記憶を持っています。私の場合は、あたたかさより緊張でした。
夕方の台所で、よく叱られました。来客の顔を見て、私が口を滑らせた日のことです。「あの人、ずっと無理して笑ってる」祖母は包丁を置いて、私をまっすぐ見ました。
「視えたことを、すぐ口にしちゃだめ。輪郭がはっきりしてから言葉にするのよ」「今のは、あなたの胸がざわついただけ。まだ視えたとは言わないの」
そう言って、祖母は湯呑みを私の両手に持たせました。両手で包んで、息を三つ。「三つ数えても残っているものだけが、輪郭。消えたなら、ただの思い込みでしょ」
ただし、輪郭が定まったら話は別です。「視えたことは、視えたまま言いなさい。気をつかって嘘をつくのが、優しいと思ってるんでしょ?それは無責任っていうのよ」黙る厳しさと、言い切る厳しさ。祖母はその両方を、私に叩き込みました。今、私はこの二つを鑑定の柱にしています。良い結果も、そうでない結果も。
祖母は、褒めない人でした。三呼吸が上手にできても、「それが普通」で終わり。だから私は、三つ目の息のあとに、自分で言うようになりました。「今日もよく気づけた」と。
自己肯定感という言葉を知るずっと前から、私はそれを自分で育てるしかありませんでした。自分の頑張りを認める相手は、自分しかいない。自分の味方は自分自身。祖母の台所で、それを知りました。
祖母が亡くなった時、私は泣きませんでした。周りは驚いていました。悲しくなかったわけではありません。あの人ならきっと、泣くより先にやることがあると思ったのです。
恵まれた家だったとは、言い切れません。けれど、おかげで早くに、一人で立つことを覚えました。自立の最初の一歩は、自分を労うことだった。今は、そう思っています。
独り身の今も、夜は湯呑みを両手で包みます。今夜はマグカップでもかまいません。息を三つ数えて、その日の自分にひとこと。誰に伝わるより先に、あなたに届きますよ。
この記事を書いた人
澪音霊視で鑑定しています。 「見ようとしなくても、見えてしまう」この力は祖母から受け継ぎました。以前はコールセンターで管理職をしていて、たくさんの人の声に向き合ってきました。 ブログでは占いのことや、日々の暮らしで感じたことを綴っています。気軽に読んでもらえたら嬉しいです。

