独り暮らしの夜は、静かです。仕事から帰って、湯を沸かして、スマホを伏せる。たいてい、それで一日が終わります。
そんな夜に、ふと昔の関係を思い出すことがあります。「もう気持ちが冷めたのかもしれない」。かつて、そう感じた関係がありました。
経緯は、ここには書きません。書くのは、あの時の私の気持ちの動きだけです。
当時の私は、会うたびに小さなすれ違いを数えていました。返信の速さ。言葉の選び方。笑うタイミング。ひとつずつずれていくたびに、冷めたのだと決めてしまいたくなりました。
けれど、結論は出しませんでした。嫌いになった感覚とは、どこか違っていたからです。曲は同じなのに、拍だけがずれている。私の中では、音楽のリズムが合わないような感覚でした。
あの頃は、相手の欠点ばかりが目につく日もありました。受け入れられる日と、受け入れきれない日が、交互に来ました。どちらの日の気持ちも、確かに私のものでした。
そんな私を見たら、祖母はきっと言ったはずです。「冷めたんじゃなくて、疲れてるだけでしょ。違うの?」私を育てたのは、実質、祖母一人。ごまかしを見逃さない人でした。その声を思い出す夜は、懐かしさと寂しさが、半分ずつ胸に落ちてきます。
結果がどうなったかは、書きません。ただ、あの関係を間違いだったとは、今も言いません。好きと愛の違いを、私はまだ言い切れません。けれど、温度が下がっても手放したくなかったものが、あの時の私には確かにありました。
だから今は、「冷めたかも」と感じたら、一晩だけ置くことにしています。結論を出す前に、翌朝もう一度、自分の気持ちの温度を測る。それだけです。
もし今、同じ場所で立ち止まっているなら。今夜は、答えを出さなくて大丈夫です。拍が合う日を、気持ちの居場所を確かめながら、少しだけ待ってみてください🌙
この記事を書いた人
澪音霊視で鑑定しています。 「見ようとしなくても、見えてしまう」この力は祖母から受け継ぎました。以前はコールセンターで管理職をしていて、たくさんの人の声に向き合ってきました。 ブログでは占いのことや、日々の暮らしで感じたことを綴っています。気軽に読んでもらえたら嬉しいです。

